日本茶のルーツは、中国!禅のお坊さんが伝える。
1200年ほど前(平安時代頃)
中国から始まったお茶の木の飲用方法は、僧侶たちの手によって日本国内に伝わりました。
学校の教科書にも出て来た、最澄、空海というお坊さんが、お茶の実を国内に植え、修行の一つとしてお茶を利用したのが始まりと言われています。
上流階級に広がった抹茶の世界は、一杯のお茶が政治を動かすほどの力を持ち、また庶民が飲んでいたお茶は、地域に根ざした独特の茶文化となり引き継がれました。紆余曲折ありながらも、お茶は形を変えて現在も飲み続けられていています。
アレンジは、日本!日本人の職人魂が、お茶を極めた。
日本茶の世界に誇れる特異性は、お茶製造&飲用の発祥地である中国ではすでになくなってしまった「蒸す」という製法が、世界で唯一、日本でだけ引き継がれ、さらに改良を加え日本オリジナルとして発展をし、今も飲み手に受け入れられているところです。
地域に根ざした庶民のお茶の製茶技術も発達し、多くの日本人が「何かしら身体に良いと言われるお茶を私の暮らしにも取り入れたい。」と考えて来たのだと思います。
お茶の歴史を見てい ると、日本人気質や、技術や品質を極めようとする職人魂が見えてきます。また、作られたお茶を活かしきろうとする、もてなしの達人たちも登場します。
茶の文化は、作り手の職人魂 × 飲み手の美意識
お茶の文化においては、「茶産業の発展:作り手側」と「茶の文化の発展:使い手側」の両方が、切磋琢磨してよりお茶の世界を深く深く追求してきたことが、世界に誇れる、類を見ない芸術品ともいえる『日本茶(蒸し製のお茶)』という商品を創り出しているのだと思います。
お茶に精神性を見出した人たちは自己のお茶を追求し、その後体系づけて組織化されていきます。また庶民にとっては、機能性を目的にしていた飲み物から、嗜好性の高い飲み物に変化が始まりました。
戦後の量産化で、高級品から日常品へ変化
戦前までの蒸し製煎茶は、問屋の努力により世界に輸出される高級なものでした。しかし戦後は、毎日煎茶が飲める暮らしを「ちょっといい暮らし」と考える日本人が多く、高度成長をしていた日本では、お茶は作れば売れました。
当時『茶部屋』と呼ばれていたお茶を揉むためのスペースは大型化し、『茶工場』と呼ばれるようになりまし た。量産体制が整うと、栽培方法もそれに合わせて変化します。
手仕事、自己完結型の茶製造ではなく、量産体制の中に職人魂を見つけ出して行った時代なのだと思います。
高級品だった蒸し製煎茶が量産されるようになったことで、発酵茶や釜炒り茶、日干し番茶や茹で番茶など、地域独特の製茶方法の多くが消えて行ったのが残念ですが、現在でも昔と変わらない個性的なお茶を作っている人たちもいます。
さらに、古典的な製法の地方茶の代わりに、紅茶や烏龍茶など今の暮らしになじむ、新しい製法のお茶が作られ始めていることも魅力的です。
これから。「ふだん着の茶人」が、茶文化を創る
暮らしの中では、選べる飲み物がふえ、さらに忙しさから簡便化した飲み物が好まれるようになりました。
私たちはいつも、「自分の暮らしをより良くしたい」という思いを持っていますが、これからは、「自分にとって、より良い暮らしとはどういうことか?」を、さらに深く考える時代に入っていくのだと思います。
昔の人は、『成分的な機能性』から、暮らしにお茶を取り入れたいと考えましたが、今からはそこに『自己を見つめる精神性』をプラスした、『新たな日本のお茶の機能性』を見出すような気がしています。
高度成長期を経て、 お茶が身近にありすぎて、「お茶を暮らしに活かそう」という人たちは減ったように思いましたが、きっとこれからはまた、暮らしの中でお茶を愉しもうとする人たちがたくさん生まれる時代なのだと思います。
それはまた、お茶の歴史から見ても新しい変化です。
そして私たちは、「農家が作ったお茶を丁寧に淹れて飲むことで、誰もが『ふだん着の茶人』になれる。」と考え、そのお手伝いをさせていただきたいと考えています。
・日本のお茶 昔・今・これから